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清原和博氏がブログで灰皿を割ったことを話していたことを語っていきます。

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清原和博氏について

出身地 大阪府和田市
生年月日 1967年8月18日
身長188 cm
体重 104 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 一塁手
プロ入り 1985年 ドラフト1位
初出場 1986年4月5日
最終出場 2008年10月1日(引退試合)

小学校時代野球を始め、岸和田リトルリーグの部員募集ポスターを見て入団テストを受け、入団。
毎日祖父から100円を貰い練習をしていた(この頃に金銭を貰って野球をする感覚を覚えたということがあり、事の発端があったのかもしれません)

6年生ばかりのレギュラーに混じり唯一4年生でレギュラーを獲得。
その後投手しても活躍6年時には完全試合を達成。

岸和田市立久米田中学校に進学すると共に、岸和田シニアリーグに移り、関西シニアで優勝を果たしました。3年時には日生球場のネットを揺らす本塁打を放つなどすでに超高校級のスラッガーとなりつつありました。。

高校時代
高校は30校近いスカウトの中からPL学園高校を選びました。
天理高校かPL学園かどちらに行くかで悩んでいたが、両校の練習を見学した際に、毎年100人前後の部員を抱えるマンモス校の天理高では3年生が練習をし、1年生は玉ひろいから少数精鋭をとるPL学園では学年に関係なく同じメニューの練習ができることが決め手となりました。

入学当初は投手を希望していたが、同期の桑田真澄の傑出した実力を知り、桑田には絶対勝てないと野手を選んだそうです。実際の桑田投手の投球を見て驚嘆したそう。

当時はバッティング練習の際には飛距離の出ない竹バットを使用していたが、それでもネットを軽々越えて場外に飛ばしていたために、清原用の金網が継ぎ足されたという逸話が残っている。このネットは清原ネットと呼ばれていたそうです。元巨人の松井選手も高校時代にさく越え連発で監督の家にぶち当てていたというエピソードがありますね。

全国から精鋭の集まるPL学園野球部にあって1年生から4番に座り、エース桑田と共に甲子園に5季連続出場を果たします。よくよく考えたら1回出れるだけでもすごすぎるのに5回も出るというのがありえないくらい凄いです。
1年生の夏に優勝、2年生の春・夏は共に準優勝、3年生の春はベスト4、3年生の夏は2度目の優勝ということである意味すでに絶頂を迎えていたのかもしれません。

特に清原と桑田はKKコンビと呼ばれ、後には桑田清原世代という形で呼び語られるようになりました。

個人としても甲子園通算13本塁打を放つなど、高校通算64本塁打を記録。
3年夏の決勝戦でこの試合2本目、1大会の新記録となる5号を放ちました。
ちなみにyoutubeを探すと甲子園で投げている清原氏の姿が見受けられます。

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灰皿を割った事案

さて渦中の清原氏。
先日ブログで灰皿を割ってしまった件について書いていました。

内容については下記です。

二人の客が清原氏を見つけて指をさして笑ったそうです。
これをみて清原氏は頭の中でブチ切れてしまったそう。

我慢我慢と歯を食いしばって、やっぱり我慢できない!!と思って灰皿を手でたたき割ってしまったという事案です。

因みにテレビ番組でこの件について質問されて、清原氏は

 

・元サッカー選手の前園選手からは頭に来たら6秒間我慢する。
・怒りをパワーにしたり、自分のべき論をなくそう。
・お客さんは清原氏が灰皿を割った姿を見ていないという。。。
・距離を置かれて笑いながら刺されたよう。
・松本人志氏からは文学的と評される。
・泉谷しげるからは怒ったことは正解と称賛される。
・長嶋一茂からは清原氏より強い人がでてきたらどうするの?という質問に。いきます。と答える。
・怒ることは悪いことではないけど、出し方を考えよう。
・ダルビッシュ投手からサインを息子さんあてにプレゼントされた模様。

今になって振り返るとこのころから事件となる前兆は出てしまっていたのかと考えられます。
しっかり償って今後の人生を生きて行きたいものです。

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